本項は我がお師匠様 正岡 玄舟 志範 の独曰を纏めたものでる。
題目の言霊(ことたま)は四国の中心地、高知・徳島・高松・松山。
あさいと(麻糸)はその各地旧名、阿波、讃岐、伊予、土佐のそれぞれの頭文字を綴ってある。
開祖植芝盛平翁は「合氣とは言霊の妙用」と喝破された。麻糸は「天の岩屋」神話に出てくる織物である。
古事記に記される国生みは、淡路島、四国と成されて往き、そのはじまりは現在の阿波周辺からと伝えられる。
高知県稲生を終の棲家とし、半世紀以上も修身に行じた師の胆識をここに記す事とする。
尚、可能な限り言葉を選び、極めて納得に近い記し方に努めるが、言葉(筆)にするとどうしても齟齬(そご)が生じる。
本来、師の教えは直接細胞に染み入る類のものであり、頭の理解は無関係とは言えないが本質ではない。
水の美味しさ、米の旨さ、それらを文字で表現し切れないのと同様である事をご了承願いたい。

このページには最新の言霊のみを掲載。全記事はこちら ⇒ 言霊ーあさいとー


 

武の真人・真の自由人

<武の真人・真の自由人-1ー>

完全な自主の人であるところの合氣翁にあこがれる人は近来たくさんいたが成武するための
行法や筋道がわからないために形を真似たり一人でいろいろ工夫して「武」とはこうであろうかと
自分で合点して真の意味で成武したという断定は簡単に下しがたいが
芭蕉翁が言う通り
「古人の跡を求めず古人の求めしことろを求めよ」からみて、外れているか、かなっているか
かなっている点があるとすればそれはどこか・・・
心眼をもってお読み頂き願いたい。

 

<武の真人・真の自由人-2ー>

神の化身植芝翁の到達された境地は自称武道家の遠く及ばぬ神明世界
あらゆる日本武道の根源
一言で云うなら日本神道の源泉を摑まえた霊性武道である。
根源はスサノオ神話を中心にした真の武道だから
植芝翁の思想 武道精神 神業を修めたい者は先ず
大本教を勉ふことが必須でクニトコタチ(スサノオ神話)のミコトノリの武道的表現

 

<武の真人・真の自由人-3ー>

翁が創見された聖域は神秘の世界へ進み入り、人間の真実相を摑む行法であって古武道ではない。
形而上下を貫く霊肉の雙修であるから、形而下にしか視野の届かない学者、サラリーマン武道者には
神秘的で捉へどころのない解りにくいものに映り馬鹿気た(愚者)の輩が弄ぶものと云う事になる。
この俗人の競争差別の人生観 世界観より脱却して全一観に立ち
ほんとうに生きがいを感じられる
真武を汝は学んでその人生を悟るがよい。

 

<開祖 植芝盛平翁>

                                令和7年 10月 20日