本項は我がお師匠様 正岡 玄舟 志範 の独曰を纏めたものでる。
題目の言霊(ことたま)は四国の中心地、高知・徳島・高松・松山。
あさいと(麻糸)はその各地旧名、阿波、讃岐、伊予、土佐のそれぞれの頭文字を綴ってある。
開祖植芝盛平翁は「合氣とは言霊の妙用」と喝破された。麻糸は「天の岩屋」神話に出てくる織物である。
古事記に記される国生みは、淡路島、四国と成されて往き、そのはじまりは現在の阿波周辺からと伝えられる。
高知県稲生を終の棲家とし、半世紀以上も修身に行じた師の胆識をここに記す事とする。
尚、可能な限り言葉を選び、極めて納得に近い記し方に努めるが、言葉(筆)にするとどうしても齟齬(そご)が生じる。
本来、師の教えは直接細胞に染み入る類のものであり、頭の理解は無関係とは言えないが本質ではない。
水の美味しさ、米の旨さ、それらを文字で表現し切れないのと同様である事をご了承願いたい。
このページには最新の言霊のみ掲示。全記事はこちら ⇒ 言霊ーあさいとー
武志道人間學
独白寸言
<武志道人間學ー1ー>
民族に伝わる神話といふものはそれぞれ「天の声」であり
一人の人間の作意に依るものではない。
それでそれを信ずる信じないは各人の自由でそれを信じることで
その人或いはその民族が幸せな生活ができるのなら信じてをればいいので
それを向きになって否定するのは臍曲がりというもので昔はいざ知らず
民主主義横行の現代にはこの種の輩が多くそれも大学出の宗教家、武道家、
何々研究家といふ肩書を売り物にした専門バカ、インテリに多い
<武志道人間學ー2ー>
しかしこれは白と云へば黒と云い、黒と云へば白と云ふスネ者であり
民族協和の害にはなっても得にはならない。
神道の武道的表現である現代合氣道をはるかに超越し相対界一切の我見を滅却
宇宙波動に活きる植芝神学に生きれるようになれば有るもの(形象)が
存在の埒外に置かれ無いもの(無形無象)に視野が拡がる。
これを「速武産合氣」と云ふのである。
この神武に生きる人は神話の中の彼我を幸せにする部分だけを活用してゆけばいいので
これを「天に順ふ」と云ふ。
<武志道人間學ー3ー>
天に順う者は栄へ天に逆ふ者は衰へる。
なぜならばそれは父母未生以前の己が本来の面目(本物の自分、宇宙生命)に再生復活し得た
ことだからである。
蓋(けだ)し生命の至上主義にして最高の価値神業を発揮したことになる
天とは一にして大なるもの生々化々の大宇宙生命だからである。
合気道の通俗的解説本などで独習し雑多な何々流では軽わざ師の客寄せの興行(見せ物)に堕する。
雑多流でゆくと大怪我をして俗道に堕ちる。

<開祖 植芝盛平翁>
令和7年 7月 15日